石井町の山際を調査した。結果、
そんなに大きくない墓地なので、古い無縁なのは撤去しないと、新しい墓が作れない。なので無造作に打ち捨てられることになる。ここの場合、楠木が大きくなるものだから、さらに厄介なことになっていると思われる。奇特な人がいれば、隅のほうへでも建て直しくれるかもしれないが、600年はあまりにも長すぎる。
その打ち捨てられ地中に埋もれていたものが、道路とか水路とかの工事で発掘されて、近くの神社や寺院に展示されているのではなかろうか?
明治以前は、神仏習合だったので神社と寺院は同じものと考えてよいのか?
農大からニュー童学寺越え道路までの山辺の道、寺院は森本院と最終点の浄土寺。墓地は3箇所でそれぞれに板碑があった。この間の神社には板碑は確認できず。
これら墓地にあるものは、よそからここに運んできたものでないと仮定して、墓碑、墓標、あるいは先祖供養碑と考えてよいと思うのだが。
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