2012年6月20日水曜日

今日は石井町の山際を探索。

4月から始めたばかりで経験不足だが、板碑は神社と寺院に多くあり、道端や田んぼの中は稀との思いからそこを重点的に調査する。

石井町の山際を調査した。結果、











そんなに大きくない墓地なので、古い無縁なのは撤去しないと、新しい墓が作れない。なので無造作に打ち捨てられることになる。ここの場合、楠木が大きくなるものだから、さらに厄介なことになっていると思われる。奇特な人がいれば、隅のほうへでも建て直しくれるかもしれないが、600年はあまりにも長すぎる。

その打ち捨てられ地中に埋もれていたものが、道路とか水路とかの工事で発掘されて、近くの神社や寺院に展示されているのではなかろうか?
明治以前は、神仏習合だったので神社と寺院は同じものと考えてよいのか?




これは、近くの山際にある浄土寺の墓地にあるもの。山腹に墓が並んでいて、目に入ったので登って撮影。もう少しがんばれば更に成果があったかも知れないが、蛇やら蜂やらに遭遇するのはうれしくない。

農大からニュー童学寺越え道路までの山辺の道、寺院は森本院と最終点の浄土寺。墓地は3箇所でそれぞれに板碑があった。この間の神社には板碑は確認できず。

これら墓地にあるものは、よそからここに運んできたものでないと仮定して、墓碑、墓標、あるいは先祖供養碑と考えてよいと思うのだが。

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