資料には、79から97までの調査がされている。比較的まとまっているのは、健治寺と海見の長楽寺跡くらいなものか。ほとんどが各地区に分散されている。国府町のように通し番号を振りたいのだが、数が違うとか新発見があるとかで、混乱があるので後日考えよう。
内の御田
(石92) 42×14×14 弥陀三尊
県道わきに庚申堂があり道内に、左側と頂部が欠けた板碑が転がっています。
(石91) 40×21×3 弥陀三尊
堂の裏手の墓石らしきものの陰にある。後日(2017.9.9)に通りかかったときには、草が茂っていて確認できなかった。
海見
一宮小笠原家菩提寺「長楽寺」跡と標識には書かれている。一宮小笠原氏は後に、一宮氏と名乗る。
(石80) (92)×40×4 弥陀三尊 右志者〇〇
正平七年十一月
(石82) 68×19(残部)×5 弥陀三尊 頂部左側欠損
(石83) (60)×34×8 刻印が深くて大きい
(石84) (72)×22×3.5 弥陀三尊
(石85) 37×29×5 弥陀種子
資料には以上がまとめられているが、写真のように破片が多く、どれがどれに相当するやら?
なおこの場所は草木の繁殖が激しく、土砂崩れも考えられるから、近いうちに無くなってしまうかもしれない。
海見古塚穴とある。家の裏を少し上がったあたりに祠があり、その周囲に4体が確認できる。写真で祠の手前には、凝灰岩の五輪塔のパーツがある。
(石86)80×28.5×5
(石87)27×18×3.5 弥陀三尊
上の二つが相当すると思われる。下の二つはきびしいか?
月の宮
道路わき、コンクリートの堂内に安置されている。
(石81) 135×45×6 地蔵線刻画像 右志者為〇〇〇云々
(明徳元年八月時正)
金治 健治寺
本堂裏手の切り立った崖の中腹に配置されている。
資料には四体記載されている。
(石79) (126)×35×7 弥陀三尊 貞和五年八月
(石88) (67)×30×4 弥陀三尊
(石89) 56×26×4 弥陀三尊
(石90) (47)×28×5.5 弥陀三尊
写真のは2番目以降の三体と思われる。
天野原
(石93) 45×27×3 弥陀三尊
二つに割れていて、下部が欠損している。周りには、光明真言塔や庚申塔なdふぉがある。
大久
(石94) (103)×43×4 線刻画像
笠木
(石なし) 地32×24×3.5 弥陀三尊
写真手前のは、神山町にたくさんある凝灰岩製の宝塔の一部と思われる。地元の人に聞くと改修工事で出てきたとのこと。入田中学校の東側で、県道からの入り口には六地蔵があることから、以前は墓地だったのではないか?
神の池
(石なし) 地78×38×5 おそらく名号、杯状穴がある。数年前にはじめて見たときには、「名号板碑発見」と思ったのだが、今見ると微妙。
西福寺へ県道から入って間もなくののところ。
(石なし) 39×22×5 弥陀三尊 蓮華座付き
手前の丸い石や周囲の緑色片岩などから、壊れたオカマゴの中にあったと思われる。
上記のポイントから少し徳島よりを北に。
(石95) (39)×23×3 弥陀種子
以前に行ったときには、お堂の裏の畔に放置されていたので、堂内に戻した。今のところ無事にあります。資料では安御都真となっているが、間違い。
春日
(石96) (60)×25×5 線刻画像?
阿弥陀堂内にある。
未調査
(石97) 天満 天神社となっているが、見つけることができない。
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