Q 芝原
蔵珠院には3体の板碑が残されており、すべて弥陀三尊が描かれていたと思われる。痛みが激しい。右から、
Q1(石41) 114×34×6.5
Q2(石43) 168×60×9
Q3(石42) 127×45×7.5 すべてに蓮華座がついている。
威徳院には徳島市指定有形文化財の三摩耶形板碑が2体残されている。下の写真で両側の大型のもの。
写真の右から、
Q3(石7) 地189×65×9~13 弥陀三尊 貞和三年(1347)
Q4(石なし) 地105×37×5 痛みが激しく、名号のようにも思える。
Q5(石なし) 地110×33×6.5 たぶん名号
Q6(石14) 地230×66×? 弥陀三尊 永和四年(1378) 折れていたものを一回り大きな板に貼り付けて修復しているので、厚みはわからない。年記などの文字は明瞭。
Q7(石なし) 未測定 名号 Q8とともに無縁墓の最上段に祭られている。痛みがはげしい。
Q8(石なし) 未測定 無造作に転がされているており弥陀三尊と貞和三が読み取れ、以下が消失。あと、何個かの青石の断片があり、詳しく調査するとおもしろいかもしれない。
Q9(石15) 地160×63×11 阿弥陀画像 康暦云々とある 蔵珠院・威徳院の南方の墓地
Q10(石なし) 地77×38×6~10 標識不明 蔵珠院を山門を入ったすぐの植え込みの中にある。
Q11(石なし) 未測定 八幡神社の東にある集会所の敷地内に。画像板碑のように見えるが。下部両側に文字と思われる痕跡がある。拓をとれば読めるのではないか?
岡田家墓地に五体並べられている。右から順にQ12~16(石なし)とする。すべて弥陀三尊。
Q12(石なし) 地86×32×5 為祐尊七分全得也 応安八年三月十日
Q13(石なし) 地59×25×4.5 為過去孫七霊修之敬白 延文四年十一月二日
Q14(石なし) 地50×17×3
Q15(石なし) 地55×19×5 為○香阿三十五日 応安七年七月
Q16(石なし) 地50×17×3
芝原城跡(城主は久米氏)言われているところに米家があり、庭のはずれに板碑が二体並んでいる。
Q17(石なし) 未採寸 手前の物であるが、下部中央にキリークがわかる。
Q17(石なし) 未採寸 奥のものだが、頭のみか出ている。二重線はくっきりしている。
未調査のもの
(石44) 160×60×10 南芝原墓地で修理の必要があるとあるが、標識の記載がない。Q7に相当するのかな?
R 西黒田
竜王板碑群として龍蔵堤に7体並んでいる。右から、
R1(石70) 地77×30×7 弥陀三尊 上部欠損
R2(石71) 地69×30×6.5 弥陀三尊
R3(石72) 地129×38×8 梵字と名号 なんの梵字なのか勉強不足。
R4(石4) 地96×37×5 名号 建武四年云々 埋もれている部分に年記などの過半があるはず。
R5(石73) 地77×24×3.5 弥陀三尊 すべてに蓮華座がつく。
R6(石74) 地43×27×6.5 弥陀三尊 紅廉片岩が使用されている。上部欠損
R7(石なし) 地57×24×7 弥陀三尊 倒れて埋もれかかっていたので、とりあえず起こしておいた。
千蔵寺の山門をくぐって右手に塀に沿って石造物が並んでいる。向かって右から、
R8(石76) 地70×37×6 弥陀三尊となっているがほとんど認識できない。
R9(石75) 地130×43×8 名号、これも確認しずらい。
R10(石なし) 地58×28×7 板碑の下半分と考えられる。肝心な上半分がないのだが、両側の細工が板碑のようである。
R11(石なし) 地50×27×5 弥陀三尊 南郷集会所のある神社境内、横の庚申塔はさらに小さい。
千蔵寺の北東の田んぼの中に、小さな墓地がある。
R12(石なし) 小型の板碑でたぶん弥陀三尊。左側は板碑の断片と思われる。右側のは凝灰岩の五輪塔の一部分で、室町時代のものであろう。
S 東黒田
S1(石76) 地84×39×8 表面がほとんど剥落してしまっているため標識や二本線はまったく確認できない。右側に枠線の一部が確認できるのみ。盃状穴がある。右隣の青石には阿弥陀如来と彫られている。
以上であるが、データ等の更新は続けていく。
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