石井町の板碑 P1 高川原地区
石井町教育委員会から発行されているのを借りることができたので、それを元に記述する。
本によると、石井町には147基が記載されているが、それ以外にも見ることができる。
本の地域分けに従ってページ構成をする。通し番号の前にアルファベットを付けて地域がわかるように、また本に記載されていないものについては、距離的に最も近いものの番号の後ろにアルファベット小文字を付けて追加とする。
IA 高川原地区
IB 石井地区
IC 高原地区
ID 浦庄地区
IE 藍畑地区
データについては、基本的には本に記載されているのを使用する。
石川神社板碑群
徳島県指定文化財であり、17基並んでいる。右から順に番号が振られている。
IA01 103×43×7 弥陀三尊種子
IA02 88×33×5 弥陀一尊種子
IA03 108×35×9 五大種子
IA04 131×46×7 名号
IA05 145×42×6 名号
IA06 145×52×10 名号 双式
IA07 188×72×10 弥陀三尊種子 裏側に天保十二年の真言の追記がある
IA08 126×46×9 五輪塔型 五大種子 弘安八(1285)年
IA09 113×38×12 阿弥陀画像 乾元二(1303)年 九州型
IA10 84×29×6 弥陀一尊種子 嘉暦四(1329)年
IA11 89×32×5 弥陀一尊種子 文保元(1317)年
IA12 95×42×6 五輪塔型 五大種子
IA13 118×45×12 名号
IA14 52×23×4 弥陀三尊種子 貞治六(1367)年
IA15 67×25×5 弥陀三尊種子
IA16 30×30×4 不明
IA17 37×14×3 弥陀一尊種子 現地では見つけられなかった。
IA17a 67×34×4 名号 市楽の消防小屋の東側の墓地。背後の森が石川神社
IA18 90×33×5 阿弥陀画像 元享二(1322)年 顔の右側に錫杖のようなものがあるので 地蔵ではなかろうか? 桜間神社南東隅。
桜間郷の庚申堂に二体祭られている。
IA19 77×68×6 上部のみ残存し、標識はわからない。おそらく画像。
IA20 50×52×6 キリークの部分のみ残存。
IA21 142×51×6 名号 正応二(1289)年 神社のご神体として、社の奥深く安置されているはず。徳島県有形文化財。
桜間郷西方の墓地に六体残されている。善福寺跡とある。
IA22 89×47×6 名号
IA23 82×32×6 名号
IA24 66・62×70×6 名号、双式
IA25 41×39×5 名号
IA26 39×39×5 名号
IA27 51×34×6 名号
加茂野の地蔵堂裏手に後ろ向きに三体並んでいる。
IA28 45×33×5 名号
IA29 93×35×6 弥陀三尊種子
IA30 43×34×6 名号
高川原公民館分館に三体並んでいる。
IA31 107×49×9 名号
IA32 122×58×7 名号
IA33 66×33×7 釈迦三尊種子 応永三(1396)年。国道192号の拡張工事に伴い、渡内橋東よりここへ移転したとある。
IA07 188×72×10 弥陀三尊種子 裏側に天保十二年の真言の追記がある
IA08 126×46×9 五輪塔型 五大種子 弘安八(1285)年
IA09 113×38×12 阿弥陀画像 乾元二(1303)年 九州型
IA10 84×29×6 弥陀一尊種子 嘉暦四(1329)年
IA11 89×32×5 弥陀一尊種子 文保元(1317)年
IA12 95×42×6 五輪塔型 五大種子
IA13 118×45×12 名号
IA14 52×23×4 弥陀三尊種子 貞治六(1367)年
IA15 67×25×5 弥陀三尊種子
IA16 30×30×4 不明
IA17 37×14×3 弥陀一尊種子 現地では見つけられなかった。
IA17a 67×34×4 名号 市楽の消防小屋の東側の墓地。背後の森が石川神社
IA18 90×33×5 阿弥陀画像 元享二(1322)年 顔の右側に錫杖のようなものがあるので 地蔵ではなかろうか? 桜間神社南東隅。
桜間郷の庚申堂に二体祭られている。
IA19 77×68×6 上部のみ残存し、標識はわからない。おそらく画像。
IA20 50×52×6 キリークの部分のみ残存。
IA21 142×51×6 名号 正応二(1289)年 神社のご神体として、社の奥深く安置されているはず。徳島県有形文化財。
桜間郷西方の墓地に六体残されている。善福寺跡とある。
IA22 89×47×6 名号
IA23 82×32×6 名号
IA24 66・62×70×6 名号、双式
IA25 41×39×5 名号
IA26 39×39×5 名号
IA27 51×34×6 名号
加茂野の地蔵堂裏手に後ろ向きに三体並んでいる。
IA28 45×33×5 名号
IA29 93×35×6 弥陀三尊種子
IA30 43×34×6 名号
高川原公民館分館に三体並んでいる。
IA31 107×49×9 名号
IA32 122×58×7 名号
IA33 66×33×7 釈迦三尊種子 応永三(1396)年。国道192号の拡張工事に伴い、渡内橋東よりここへ移転したとある。
IA34 96×34×4 五輪塔線刻 五大種子 文安五(1448)年。公民館南のお宅の裏に祭られている。
さくら保育園駐車場のよこに台の上に七体立てられている。重なっているので表の三体のみ観察が可能。両脇の五輪塔残欠も室町期の古さを感じる。
IA35 80×34×7 弥陀三尊種子
IA36 97×35×4 弥陀三尊種子
IA37 102×34×6 弥陀三尊種子
IA38 84×32×4
IA39 102×32×6
IA40 90×24×4
IA41 100×39×6
IA42 94×51×4 種子不明 画像か?
IA43 80×41×6 種子不明 画像か?
IA43a 蛇が出てきたので未採寸。両側に枠線が確認でき、板碑であるのはちがいないのだが種子がわからない。画像板碑の可能性あり。42・43ともに、さくら幼稚園駐車場から南の藪の中。
IA44 130×52×10 画像板碑のように見受けられるが。高川原小学校北側の墓地。
IA44a 66×32×9 名号 上記の場所を西に進むとある。
IA45 32×35×8 名号
IA46 49×39×5 五輪塔線刻 上記の場所をさらに西に進むとある。
リカオーの北方に馬頭観音・庚申塔などが並ぶところがある。この中に三体の板碑が含まれている。
IA47 45×24×5 名号
IA48 45×24×5 弥陀三尊種子
IA49 107×41×18 弥陀一尊種子 自然石風で二本線・枠線は見受けられない。
IA50 114×56×6 弥陀三尊種子+阿弥陀 二本線も枠線もない。南無もない。弥陀種子の彫りが深く端正。阿弥陀の字体が固い。で、板碑時代のブツではないのかとの思いが強い。
高川原天神の井内宅。未調査。
IA51 138×34×5 弥陀三尊種子 結衆板碑 明徳二(1391)年
IA51a 107×42×10 画像と思われる。二本線・枠線とも確認できない。下のほうに、武智家の墓標としての銘が刻まれており、板碑を墓石に転用したと思われる。
高川原南島の田んぼの中に二体ある。勝手に入るわけにいかず、望遠するのみ。
IA52 88×34×5 弥陀三尊種子
IA53 85×37×6 弥陀三尊種子 永和三(1377)年
IA54 88×70×6 画像板碑の下半分 応永三(1396)年 桜間郷南部
IA55 103×42 弥陀三尊種子 嘉暦二(1327)年 コンクリートで補修されていて、厚みは不明。高川原天満神社の道路を挟んで向かい。見性寺跡。
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