墓を並べたコンクリートの台座の背後に建てられている。標識も、二重線も枠線も確認できない。材質は、もちろん砂岩ではなくて、やや白っぽい変成岩で、青石ほどには硬くないと思われる。厚みも均等ではなくて、写真に写っている部分は厚く、下は薄い。プロの仕事ではないように思う。標識や線も、薬研彫りではなく、けがいただけなので風雨で流れたのではないか?・・・などと、勝手な想像。
台座には、古いスタイルの宝篋印塔のパーツが。
その奥には、壊され破棄された墓があり、その間に板碑の頭部がころがっている。
応永那マスプロタイプと思われる。六百年の間雨に打たれ、踏んづけられても標識も二重線もしっかり残っている。
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